私はかなり幼い頃に、人間は平等で分かり合うことができると考えていた。しかし、現実はそうではない。それも知っていた。
2歳の頃、母の知人が私に、良い子ねえ、と、言ったそうである。なんとはなしにその頃のことを憶えている。その女の人は私に、良い子ねえ、を連発した。その人に会う前から私は、何故大人が私と会うと、良い子ねえ、可愛いねえ、と言うのかわからなかった。私の見かけが可愛らしく見えるかどうかは、その人の主観だ。しかし、良い子かどうか、口もほとんど利いたことがないのにわかるのだろうかと、考えていた。私はその女の人に言ったそうである。
「私のことを馬鹿にしたわね」
母と女の人は、なんて言ったら良いのか困ったそうである。特に母はどうしたら良いのか、とても困ったと、大人になった私に言った。
でも、私はちょっとわかっている。子どもの私は大人が、良い子ねえ、という時、機嫌を取ろうとしているのを感じていたのだ。その態度が私には、馬鹿にされているような気分になったのだ。
実際のところ、大人と私は分かり合うのが難しかった。
私は、子どもと大人は年齢が違うだけで、基本的に人間としては平等だと考えていた。
これが、生まれてはじめて私が、自主的にものを考えて得た結論だった。それ以降、それに反する考えを受け入れて生活したことはない。何故なら、人間が平等で、それを実現する為に生きる力がそもそも人にないなら、私にとって人生は生きるに値しないからである。
父と母と、私との間には、確執があった。父とは分かり合う前に、他界されてしまった。母はまだ生きている。この問題は大変根が深い。なかなか、私は親と分かり合えないでいる。
私は親友が欲しいと思っていた。小学校の5年生で、そのことは解決した。私は友達に恵まれている。良い友達が何人かいる。
思春期、まあ、色々あったけれど、その終わりに結婚して子どもが欲しいと思った。それから数年かかったけれど、良い結婚をした。子どもも産んだ。
私はおおむね、単純なことだけれど目的を果たして生きてきた。ずいぶん犠牲も払った。しかしそれ以上に得ることが多かった。
私は今、健康で長く生きようと考えている。
そしてその間に、経済的なことをしようとしている。
それが実現できるかどうかわからないけれど、やろうと思う。
これは、私の宣言である。 |